僕と彼女と‘奴’と〜無実な三角関係〜

 そこに一つの力が必要だと僕はいつも思ってた。
 その力をいつも僕は求めていた。
 いついかなる時も、神出鬼没にして悪質な‘奴’といつ遭遇してもいいように……
 もう決して後悔しないように……

 深夜。
 ふと僕は’奴‘の気配を感じて目が覚めた。
「まさか……」
 緊張により高鳴る心臓などもうとうに無かった。
 両の手で数え切れないほどの遭遇だ。慣れもする。
 あるのは覚悟。
 ’奴‘を殺す

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 しかし、同時に居なければいいなぁという想いも心の片隅に微かに存在していた。
 覚悟は……出来てる。
 でも、居ないに越したことはない。
「……」
 ゴクリ、と生唾を飲み込む。
 慎重な動作で‘奴’を殺すための武器を手にする。
 音を立てたりなどしてはいけない……
 もし本当に‘奴’が居るのだとしたら全てが水の泡だから。
(まずいな……居る……多分、だけど確実に)
 気配がした。

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 特に何か動いているわけでもないのに、首の後ろがチリチリとするような……‘奴’が居るとき特有の感覚。
 出来れば、会いたくなどなかった。
 見たくなどなかった。
 けれど、その存在を知りつつ見てみぬふりをするなど……これ以上ない恐怖だから。
「っ!」
 一気呵成
 電気をつけると同時に武器を振りかぶる!
 そこに‘奴’は……やはり居た!

「きぃぇぁぁぁぁっ!」

 一閃
 気迫と共に刀を振るう。

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 電気を付けた瞬間にもう分かっていた。
 その存在を確認してしまった。
 恐怖の象徴、遭いたくないと願った姿……だが、見てしまった以上はもう選択肢など存在しない。
 
‘奴’を殺す

 今、この場で始末をつける。
 そのために居合道の教室にまで行ってきた。
 居合い刀まで今日この日のために購入した。とても高かった……
 全てが全て、この時のために。
 賽は既に投げられた。
 後は、僕の腕次第。

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「っぐ!」
 ギャリィッ……と不快な音を立てて床に一条の傷が付く。
 振るわれた刃はこれ以上ないほどの速度で床を抉っていた。
 が、しかし……手応えは、無かった。
「あっ!っ!このっ!」
 追撃の一刀。
 しかし、それも棚に阻まれ‘奴’には届かず……
 その間に‘奴’は棚と棚との僅かな隙間に入り込んでいってしまい……もう姿が見えない。

 取り逃した……

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 事実だけが頭を巡り身体にはもう力が入らない。
 最悪だ……最悪の現実……

「く、うぅ、ちくしょう……ちく、しょうっ!」

 ドンドンドン!と扉を叩く音。
 僕を呼ぶ大家さんの声がする。

『ちょっと!今の物音は何ですか!?またですか!?今何時だと思っているんですか!?』

 うるさい、今はそれどころじゃないんだ……
 多分、居合い刀で床を抉ったりした時の音が原因だろう。 

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『次やったら追い出しますよ!?聞いてるんですか!?起きてるんでしょう!?分かってるんですからね!?』

 何だろう……何やらひどく嫌なことを言っているのが聞こえたけど……
 ここはあえて無視する。
 居合い刀を片付けて、電気を消して布団に入る。

「まいったな……」

 心の底からつらくて、もう身体を動かすことすらできなかった。

 これでも、駄目なのか……

 もう声を出すことも億劫だった。

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 溜め息一つ。
 目を瞑ってはみるけれど、寝られそうにない。
「……はぁ、まいったな」
 だから、僕はたった一つ……‘奴’を殺せるだけの力が欲しかった。
 その速度に対応できる強さを。
 安心して眠ることが出来る……後顧の憂いを断つことの出来る、ただ一つの強さを。
 仕留め損なった今としては、モヤモヤとした気持ちの悪い感じが胸の中にあるだけ。
「明日……彼女が来るのに」
 みぃちゃんどう思うかな?

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 可愛くて、大好きな……逃したらもう出会えないんじゃないかってくらいの最高の彼女。
 この部屋にはゴキブリが居る。
 そのことを知った時、彼女は変わらずに僕に微笑んでくれるのかな?

「はぁ……」

 溜め息が止まらない。
 最悪だ……本当にもう、最悪だ……
 さっき取り逃したゴキブリは…‘奴’今も確実にこの部屋のどこかに居て、それを知りつつ僕は今この部屋で寝なければならない。

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「みぃちゃん……」

 まだ手も繋いでないっていうのに、こんなことで振られたくなんかない。
 玄関の方はまだ大家さんがドンドンドンドン扉を叩いてるし。
 僕が何をしたっていうんだか……

「はぁ……」

 うるさいなぁ……
 頭まで布団をスッポリと被って外界からの情報をシャットアウトして耳を塞ぐ。
 本当に、最低最悪な気分だった。

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「まったく、いつもいつも……夜中に急に奇声を発してどういうつもりなんですか?」
「はい……はい……すいません」
「はぁ、そうやって素直なのはいいのだけどね……どうしていつも、ね?あんなふうに……」

 最悪だ……
 朝から待っていたのはお説教だった。
 昨日無視した大家さん、その影響が今日に回っていた。
 くそぅ、僕だって好きこのんであんなことをしたわけじゃないのに……起きて扉を開けたらこれだよ

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「あ〜ぁ、床にもあんなふうに傷を付けちゃって……敷金返しませんよ?」
「はい……はい……本当にすいませんでした」
「次からは頼みますよ?本当に」

 バタンと扉が閉じて大家さんが居なくなる。
 くそぅ……なんて忌々しい……
 まぁ、忌々しいというにはちょっと可愛らしい外見の方ではあるんだけども……それはそれ、これはこれだ。
 みぃちゃんという唯一無二の恋人が居る僕はそんなことで揺らぎはしないのだ。

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「はぁ……朝から災難だな」

 グゥとお腹が鳴る。
 朝一で遭遇して数時間。
 ずっと説教だ。
 少しは考えろとも言いたくなる。
 お腹は空くし、時間は無駄に経過するし……大家さん、暇なのかね?

「まぁ……そんなことは、どうでもいいんだけど」

 チラ、と時計を見る。
 みぃちゃんが来るまでもう時間がなかった。
 昨日取り逃したのはもう仕方がない、変えようがない事実なんだから。
 だから、今だ。

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 明るく幸せな未来を手に入れるため、‘奴’を始末する。
 みぃちゃんが来るまでに確実に‘奴’の居ない空間を作り上げる。

「別れて……たまるか」

 脳裏にみぃちゃんの可憐な笑顔が浮かぶ。
 そして、それが‘奴’の存在を知り、嫌そうに歪むところまではっきりと……
 そんなのはごめんだった。

「やるぞ、っ!」

 気合とともに頰を張る。
 みぃちゃんが来るまであと二時間。

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 部屋の中をひっくり返してでも始末をつける。
 これは使命だ。
 大家さんのせいで予定が狂ったが、そんなのは些細なこと。 
 今、この現実を受け入れなければならない。
 行動しなければならない。
 大事なのは……今だから!

「出てこいっ!決着をつけてやる!お前は絶対に!僕の、この手でっ!」

ピンポーン

「…………うん?」

 その時、呼び鈴が鳴り響いた。

ピンポンピンポーン

「……え?」

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 断続的に鳴らすこの感じ、覚えがある。
 というか今も現在進行形で鳴り続けていた。
 普通であれば苦情モノの連打。
 でもそうではない場合もある。
 勝手知ったる人の家、とばかりにそれくらいに親しい人物であれば迷惑にもならないことがある。
 
 今そこに居るのが誰なのか?

 僕にはもう大体わかっていた。
 でも……信じたくなかった。
 
『ねぇ〜、開けてよ〜。大事な、大事な彼女だよ〜?』

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 扉の外から声がする。
 疑いようもない……
 でも、無駄な足掻きを止められなかった。

「あ、はは、は……どちら様、ですか〜?えっと、随分昔に流行った詐欺ですか〜?〇〇ちゃん?って名前を言ったら、そうそう!その〇〇ちゃんだよ〜とか言い出して入ってくるんじゃ……」

『むぅ〜。分かってるくせに〜。みぃちゃんだよ〜、あなたのだ〜いすきな彼女のみぃちゃん』

「…………」

『ね?開けてよ〜』

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 追撃のように放たれる言葉に、もう抵抗する気力すら湧いてこなかった。
 みぃちゃんのことをみぃちゃんって呼ぶの僕だけなんだ……
 それに、当然だけど声にも覚えがある。
 砂糖菓子に蜂蜜を浸したような、ひたすらに甘い……聞いたら絶対に忘れられないような可愛いお声。
 みぃちゃんだ。
 僕の彼女、唯一無二にして最愛の……この世で一番可愛いとすら断言できる恋人のみぃちゃん。

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 でも、おかしい。
 約束まではまだ時間があるはずなのに……何故?

『ごめんね〜、楽しみすぎて早くに来ちゃった♪えへへ……迷惑、だったかな?』

「……」

 何てこった……
 愕然とする心を叱咤して、震える膝にどうにか鞭を打つ。
 迷惑?
 当然迷惑なんかじゃないさ。
 僕も嬉しい。
 幸せだよ。
 でも、今は……間が悪かった。
 せめて僕が決着をつけてから来て欲しかった。

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 本音……でも、それを言うわけにもいかず、力の入らない足で扉の方まで歩いていき鍵を開ける。

「迷惑なんかじゃないよ、僕も嬉しい……いらっしゃい、みぃちゃん」

「うんっ!今日はい〜ぱいっイチャイチャしようねっ?ゆうくんっ♡」

 蕩けるような甘い笑顔。
 でも、それにどんな顔をしていいのか今の僕には分からなかった。
 迷惑かな?なんて大好きなみぃちゃんに聞かれて返す答えなんて最初から決まっていた

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 今は駄目なんて選択肢、僕にはなかった。
 だって、好きなんだから。
 僕も、みぃちゃんとイチャイチャしたいから。
 抱きついてくるみぃちゃんをそっと抱き締めて、中へ通す。

「わぁ、片付いてるね?もしかして、わたしが来るから頑張って掃除しちゃった?」

「あ、うん……まぁ」

「うん?なになに〜?歯切れ悪いぞ〜?見栄っ張りさんだ〜、このこのっ♪水面下の努力が見破られて恥ずかしいの〜?」

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「あ、はは、まぁ、その……あはは」

 渇いた笑いが出てくる。
 顔が引き攣ってどうにもならなかった。
 言えない……
 頑張って掃除した割には、ゴキブリが巣食っているだなんて。
 この部屋は借りている部屋だ、下には大家さんだって居るし、他にも部屋は何個かある。
 許可なく殺虫剤を焚くことなんて出来なかった。
 まぁ、正確にはもう何度かバルサンを焚いたことがあるんだけど……凄い文句言われた。

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『ここに住んでいるのはあなただけではないんですよ?少しは考えてくださいね!』

 以来、禁止されてしまい殺虫剤でどうにかする作戦ってのはそれっきりだ。
 どうすることも出来ない。
 まぁ、仮に禁止されてなかったとしても既にみぃちゃんがここに居る現状、どうすることも出来ないから関係ないわけなんだけど……

「ん〜……男の子の部屋って感じ。ゆうくんの匂いがするねっ?」

「あ、うん、そう?」

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「うんっ、ゆうくんももうわたしの匂い、分かるでしょ?わたしもっ!ふふ〜、だ〜いすきな彼氏さんだもんっ!もう匂いも覚えちゃった♪」

「……そう」

 何だろう……普段ならドキッとする発言だとは思うんだけど。
 この部屋には‘奴’が居る。
 そのせいかマイナスなイメージしか頭に湧いてこなかった。

 僕の……匂い?
 
 それって、臭いのかな?

 だから、ゴキブリもこの部屋に住み着いてるのかな?

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 うぅ……もう完全に駄目だ……今の僕はみぃちゃんと居るっていうのに‘奴’のことしか考えることができなかった。

「ん〜……気のせいかな?」

「え……何、が?」

「ゆうくん、大事な彼女と居るっていうのになんか上の空?」

「…………そんなこと」

 ない、と言い切れずに目を逸らしてしまう。
 覗き込んでくるみぃちゃんの真っ直ぐな瞳を直視することができなくて、曖昧な笑みを浮かべてしまう。

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「ねぇ?ゆうくん?」

「……何?みぃちゃん」

「わたしに、何か隠し事してない?」

「し……して、ないけど?」

「本当?」

「……うん」

「本当の、本当に?」

「…………うん」

 ごめん。
 心の中ではもう謝っていた。
 でも、言うことが出来なかった。
 言えばきっと、嫌なイメージを持たれる。
 ゴキブリの居る部屋に住んでるような汚い男なんだって思われることになる。

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 実際にどうかなんて僕には分からないけれど、少なくとも僕はそう思うから……

「してないよ……隠し事」

「ふ〜ん、そっか……なら、うん、とりあえずは信じてあげる」

「うん……ありがと」

「とりあえずは、だよ?」

 そう言って悪戯っぽく微笑みかけてくるみぃちゃんを直視することが出来ず「と、とにかく中に入ってよ」なんて逃げの一手を打ってしまう。
 そう、隠し事なんかしてないんだ。
 隠してない

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 みぃちゃんが帰った後にでも決着をつければ何ら問題はない。
 何もかもなかったことにする。
 みぃちゃんは‘奴’と遭遇せず、この部屋にゴキブリがいる事実そのものを闇に葬る。
 それが僕の新たなミッション。

 みぃちゃんが来る前のゴキブリ退治 ×

 みぃちゃんとゴキブリを遭遇させないで一日を終わらせる NEW

 僕としてはその前のクエスト段階でクリアしておきたかったところだけど……仕方がない。

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 どこに居るのか分からない‘奴’との遭遇をどうやって避けるか?
 ひどい難題だった……

「あ、あっと、ねぇ?みぃちゃん?外行かない?今日は外でデートしようよ、外」

「ん〜?今日はゆうくんのお部屋でゆっくりする約束だったでしょ〜?急にどうしたの〜?」

「いや、その、それは……えっと」

「何か、わたしがお部屋に居たらまずい理由でもあるの?」

「……そんなことは」

「ならいいじゃない?」

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 みぃちゃんがお行儀よく座布団の上にちょこんと腰を下ろす。
 そんな姿も愛らしくて僕としては胸がドキドキワクワクの興奮モノだったわけだけど……今は冷や汗のほうが多かった。

「ね?ほら、ゆうくんも座りなよっ。一緒にお喋りしようねっ」

「…………うん」

 可愛い。
 もう脳が蕩けそうだった。
 でも、そんな場合じゃないのも頭の片隅では理解していた。
 何とか無事に一日を終えないと……

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 恐怖と興奮……相反するドキドキが胸の中で同居していた。
 みぃちゃんは、僕が守らなければ……!
 そして、僕たちの幸せな時間も僕自身の手で……
 負けない……絶対に、負けないっ!
 覚悟。
 ‘奴’なんかに僕の大切な日常を壊されるなんて、認めるわけにはいかない。
 絶対に負けられない戦いがそこにあった。

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